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一俳句会
句会が始まると、十句ほどが記された清記用紙が左隣から回ってきます。そのなかで心に留まった一句か二句を、清記番号とともにノートへ書き留め、用紙は手元にためず右隣へ渡します。一枚の紙を皆で送りながら、それぞれが同じ句を読み、自分の心に残るものを選んでいきます。
清記用紙は次々に回ってきます。すべてを書き写してあとから比べるのではなく、そのとき心が動いた句を選び取ります。用紙が一巡してノートを見返すと、そこには自分の読み方が表れています。そのなかから決められた数に絞り、選句を終えます。
けれども、選はそこで終わるわけではありません。続く披講で、句は声となって、もう一度こちらへ返ってきます。
文字で見たときには通り過ぎてしまった句が、人の声によって、ふいに立ち上がってくることがあります。ほかの人の選を聞いて、「あ、この句を取り忘れていた」と思ったら、その場でノートに書き留めます。
披講によって、自分とは違う句に心を留めた人がいることを知り、自分が何を見て、何を見落としていたのかにも気づきます。選句は句の優劣を決めるためだけではありません。一句の読みを深めるとともに、自分自身の読み方を知ることにも、その大切な意義があるのだと思います。
以前、昔は海辺に筵を敷き、句を読み上げて句会をした土地があった、という話を聞きました。そこには、文字を書くことが難しい人も加わり、耳で句を聞いていたといいます。俳句が紙の上だけの文芸ではなかったことを思わせる話です。
俳句には、文字で読むだけでは捉えきれないものがあります。声に出すことで調べや切れが伝わり、耳で聞くことで、目だけでは気づかなかった句のよさが見えてきます。
目で見て選び、耳で聞いて気づく。披講は、句会の最後に置かれた形式的な手順ではありません。声に出す人と、それを耳で受け取る人が同じ場をともにする。そこには、俳句が「座の文芸」として受け継いできた大切なものが、今も息づいているのだと思います。
終戦の日と言われても踊っている 小西電波